ジャズピアニスト蒲池猛の今昔物語  
ジャズピアニスト 蒲池猛
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◆蒲池猛の話

今回は、自分の事を話してみようかと思う。我が家は父親がアマチュア音楽家で、歌、ウクレレ、マンドリン、ギター等の楽器をこなし、曲もたくさん作っていた。
私の小さい頃、家に楽器(ハーモニカ、木琴等)がたくさんころがっていた。
父が兄のためにいろいろ楽器を買ってくるのだが、兄は全然興味がなく、いつも私が先にできるようになっていた。

私は楽器というか、「音」に興味があり、自然と覚えてしまうのだった。とにかく音が好きで、そのころ唯一のライブ・ミュージック、チンドン屋が来ると 音に惹かれてどこまでもついて行って、夏など、道ばたで休憩し、汗で厚化粧が落ちた顔でたばこを吸ったり、水などを飲んでいる姿を近くに寄り、つぶさに眺めていた。
さぞ、変な子だと思ったことだろう。夕暮れまでついて歩き、よく迷子になった。  

  中学入学後は、早速ブラスバンド部に入り、トランペットを吹いていた。中2の時、昔米軍のベースキャンプでピアノを弾いていたという音楽の先生が、授業中にピアノでジャズを弾いてくれて、ルイ・アーム・ストロングのレコードを聴かせてくれた。
今でも覚えているが、強烈な印象(ファースト・インプレッション)であった。これだ!と思い、そこで人生が決まった。  

高2の時、おやじの伝手で、プロのトランペッターを紹介してもらい、新宿の焼き鳥キャバレー(安キャバレーで焼き鳥とビールが売り物)に吹かせてもらいに通 っていた最初は学生服で行ったが、マネージャーにえらく怒られ、親父の背広を借りて着ていった。
その頃は、ショーでストリップが入っていて、楽屋がダンサーと一緒で、先輩のミュージシャンが彼女たちに「ズーボ、テードーだぞ」と言うと
「あら、坊や童貞なの」などと、ステージメークと羽飾りがいっぱい、強烈な香水の香りとともに寄ってこられ、私は顔を真っ赤にしてどぎまぎしていた。

万事がこの調子で、高2の男子にとっては、刺激の強すぎる環境だった。トランペットはまだアドリブができず、先生の横で吹きながら「ベサメ・ムーチョ」など数少ないレパートリーを時々ソロで吹かせてもらっていた。高2の夏休みのミュージシャンとしての初体験。青春の物語であった。      
ジョー蒲池

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