ジャズピアニスト蒲池猛の今昔物語  
ジャズピアニスト 蒲池猛
プロフィール スケジュール ジャズ今昔物語 ディスコグラフィー ライブフォト リンク ブログ
 


◆ビート・ミンガーの話(2)

 前回に続くが、ウォルター・ビショップ・ジュニアというピアニストがいた。
日本に縁のあるピアニストだが、お父さんは同名のウォルター・ビショップで、アービング・バーリン等と同世代の偉大なピアニストである。
ジュニアの方も1927年生まれで、チャーリー・パーカーと共演しているし、リーダーアルバム「スピーク・ロウ」も有名である。

 1980年代、バブル期の有楽町に有楽と書いて「ウラク」と読む会員制クラブがあったが、彼は時々来日し、トリオで3ヶ月位 づつ出演していた。
ぜいたくな店で、客もあまり聞いてないし、 早く終わっていた。連中、フラストレーションとヒマなので、夜毎六本木方面 に出没していた。  
その頃私は六本木の「テリーズ」というクラブに週何回か出演していたが、彼らもよく来ていた。また、その頃、客で良く来ていたピアノ弾き語りの女性、麻生ケイといつの間にか良い仲になり、結婚してしまった。NYに連れて帰り、一緒に生活していた。

その後も仕事で時々一緒に来日してたが、1997年12月NHKのスタジオで収録の時に会ったのが最後で、98年1月に肺ガンで亡くなってしまった。
麻生ケイはNYでひとりぼっちになってしまい、大変な思いをしたが、私が10月にお見舞いに訪ねた時は、周りのサポートが良く、大分持ち直していた。
ケイの話によると、ピアニストのバリー・ハリスが自分の合唱団20数名を引き連れて見舞いに訪れ、皆で歌ってくれたそうである。

ウォルターは涙を流していたそうである。話によると、NYにはミュージシャンの未亡人クラブがあって、チャーリー・パーカーの未亡人ドリス・パーカーがリーダーで、よく面 倒を見てくれて助かったそうである。 そのケイが、先日電話してきて、いきなりティミニーを覚えているかという。
前回のGIのティミニーである。びっくりして、何で知ってるのかと聞くと、彼がメリーランドにスタジオを持っていて、レコーディングの仕事を頼まれ、ケイがそのスタジオに行ったその時、私の話が出て、早速電話して来たという。後日、電話でティミニーと直接話したが、日本の後、韓国駐留となり、現地の女性と結婚して一緒に帰国したが、奥さんが亡くなり、息子と二人暮らしで、自分は歌手で、息子はサックスを吹いていて、大変才能があるそうである。現在レコーディング中だが、良いピアニストがいないのでお前来ないかと言っている。そのうち、会いに行こうと思っている。      
ジョー蒲池

copyright (C) 2002-2005 JK-Music All rights reserved.